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Xemem:ゴキブリ


は何でも好きだった、と記憶している。あの、ゴキブリや蠅ですら素手で掴んでいた時期があったというのは、自分自身でも信じられない事である。蛙は今でも掴む事ができる。可能であると言った方が良いのかもしれない。しかし、ゴキブリや蠅はともかく、蝶やカマキリなどの昆虫も積極的に掴みたくなくなっている自分を発見した時の驚きと言うのはことのほか大きかった。やはりこどもの頃は無邪気だったのかもしれない。

学生の頃、体育教師がゴキブリの頭にシンナーを塗り付けて、狂い死にするところを見せてもらった事がある。体育教師は「命の貴さ」を教えるつもりと言うよりは心から楽しんでいたし、私たちもただ楽しんでいた。もう一度再現するために、つまり同じようにゴキブリを殺すためにゴキブリを捜しまわり、俗に言う「ゴキブリホイホイ」を持ち出してきてたりしていたが、今の私には、ゴキブリがかかっている「ゴキブリホイホイ」など見るのも嫌だ。

定的にゴキブリに恐怖を抱くようになったのは、転校していった友人を尋ねて田舎へ遊びに行った時である。本当に田舎で夜は星が綺麗で天の河が頭上を占領したかのように感じるほどの印象を今でも記憶している。常に外灯がある生活しかしてこなかった私はプラネタリウムよりも多い星空に感動した。そんな星空の中を懐中電灯を持ちながら友人とカブト虫を取りに出かけた。こどもだけだったし、本当に田舎だったので、そこら辺にカブト虫がいるだろうというこどものあさはかな知恵で、道を歩きながら探した。私はふと、木のぼろぼろになった電柱にカブト虫らしき姿を見つけて手を延ばそうとした。15cmぐらいの大きさで、とにかく興奮して手を延ばしかけたのである。ところがすぐに見失ってしまったので友人に懐中電灯で照らしてもらうとぼろぼろに剥げかかった木の間に入っていく黒い陰を目にして私は急いで電柱の木を一枚剥がした。そこにいたのは折り重なるように何十匹もたむろしているゴキブリだった。がさごそと無気味な音を立てている姿を見て私は気絶するかと思った。私たちは口もきかずすぐに家に帰った。
その後、何日かそこに泊まったが、カブト虫を取りに行こうなどとは言い出さなかった。しばらくはゴキブリの悪夢を見たし、今でもたまにゴキブリの夢を見る事がある。たぶんトラウマになっているのだろうが、自分ではどうしようもない。ちなみに、私のトラウマはゴキブリに関するものが多い。ゴキブリが顔面に向かって突然飛んできたとか、横になっていたら顔の上をゴキブリがはいまわったとか。そんなこんなでゴキブリは大嫌い、というか私にとって天敵である。

キブリのイメージは事あるごとに沸き上がってくるのだが、特に直接的に訴えてくる作品があった。「M.I.B(メン・イン・ブラック)」は、とても面白い映画なのだが、唯一、ラストシーン近くで沢山のゴキブリが登場する。それでも私としてはブラウン管の向こうだし耐える事ができる。ところがこの作品の小説は、とても耐えられなくて読み飛ばすしかなかった。

虫の図鑑のゴキブリの項目も積極的に見たくないものとなった。ところが、嫌いであるにもかかわらず、私はゴキブリの知識が少しづつではあるが増え続けた。例えば、南の方のゴキブリは大きいとか、ゴキブリは新幹線に乗って移動する事もあるので、分布図を見ると飛び石のように主要都市に繁殖しているとか。嫌いなものに対して敏感になっているのかもしれない。

と先日、秋葉原で昆虫展をやっていたのでこどもたちを連れて家族で見に行った。様々な昆虫がピンにさされて硝子ケースに入れられて展示されていた。カブト虫やクワガタ虫は触る事ができるスペースもあった。展示品の中にやはりゴキブリも並んでいた。それなりの種類のゴキブリが展示されていたが、落ち着いて見学する事ができた。家族は「ゴキブリは見たの?どうだった?」とか聞いてきたが、どうだったと言う事もなかった。私のイメージするゴキブリとは違った形をしているものがほとんどだったからかもしれない。こどもがいたし楽しかったからかもしれない。

学や結婚で実家を離れて生活環境が変わってからはほとんどゴキブリに悩まされなくなった。マンションの上の階のせいか生活のスペースにゴキブリが出ないのである。ところが、ここ何日かゴキブリに遭遇する事が何度かあった。道端で死んでいるか、これから死ぬゴキブリたちであった。同情する気はないが、この頃の殺虫剤は家の外で殺すようなものもあるようだから、そのせいだと思われるが、歩道のまん中で死んで欲しくないものだ。うっかり私が踏んでしまうから。

---2001/9/26:追記「戦争の再開」
事から帰宅して待っていたのはゴキブリだった。生活環境が変わって自分の生活圏の中でゴキブリを見なくなってから、ゴキブリのコンプレックスが消えたと思っていた。昔の無邪気な頃のように触る事はできなくても、もう少し冷静な対応がとれる自身があった。しかし、ゴキブリは所詮ゴキブリなのである。私は視界にゴキブリが入ってきた瞬間にパニックになった。今までゴキブリ等の害虫には悩まされなかったためにそれらを駆除する方法もまた持ち合わせていなかったのである。平和ぼけの某国民のようだ。私は逃げまどうしかなく、しかしゴキブリも隅へ闇へ逃げて行った。
次の瞬間から私の神経はゴキブリの気配を察するために全てが費やされた。ゴキブリの出現を見のがした妻は「本当に見たの」と私を疑い、こどもたちは見ていないと、さも見たそうに神経を逆なでした。ゴキブリなど見たくはない。しかし、いつ出てくるかわからない恐怖に耐えるよりは対決して倒したい。その時、妻が何処からともなく試供品の害虫駆除のスプレーを取り出してきた。これが、うちにある唯一の対抗手段だった。
こどもたちがお風呂から上がって部屋で睡眠をとると家の中かが静かになった。風呂に入っている最中も一度だけ姿を表し妻にスプレーで撃退されたが難を逃れていた。私は読書をしつつも神経をはり巡らして周囲をうかがっていた。時計の針が次の一日を始めてしばらくすると、緩慢に視界の隅を横切る黒い陰があった。あぐらをかいて座っていた椅子の下を横切ってこどもの食べ散らかしたお菓子に手を置いていたのはゴキブリだった。恐慌状態にならないように、ゴキブリに逃げられないように落ち着いてスプレーを手に取った。十分な距離と十分な狙いをつけて一気に引き金を引いた。ジェットで吹き飛ばされ、体勢を立て直して逃げようとするゴキブリにもう一度、逃げる背後から更にもう一度、と吹きかけた。私は勝利を確信したが、それでも動き回るゴキブリに途方にくれて何度かスプレーを吹きかけた。
と、その合間に、他のところで何かの気配がした。私は「まさか」と思いつつも「もしかしたら」とその気配に集中した。目の前のゴキブリは未だに足を動かしてパソコンの配線に絡み付いている。逃げる気力はないようだったが、死まで見届けないと気が済まない。しかし、あの、床を這いずり回る音に聞き間違いがなければ・・・。また気配があって振り向くと、今対峙しているゴキブリと遜色ないやからが確かに走り去ろうとしていた。私はスプレー缶を振ってみる。まだいける、という確信は無かった。手に持っているのは試供品である。しかし、見のがすわけには行かない。運良くゴキブリは障害物のほとんどない廊下の方向へ走っていた。私はすぐに追い付くと煥発入れずに背後からスプレーを吹きかけた。
方向感覚を失ったゴキブリがUターンしてくる。私はパニックになりもう一度引き金を引くが、出るのは無色の空気だった。ゴキブリは風圧に押し戻されるが、まだまだ元気である。泣きそうになりながらスプレー缶を振り続ける。こどもの車のおもちゃの陰に隠れたのを確認していたので、勢いよく押してみた。牽制のためにタイヤの間からスプレーを吹きかけてみた。ちゃんと白い煙りが出て、すぐに無色の煙りになった。弾切れは近い。直接近距離からの攻撃をしないとまずいかもしれない、と私は思った。それにはまず目標を確認せねば。
その場で立ち尽くしたもののゴキブリはいっこうに姿を現さない。途方にくれてゴキブリごときに無駄な時間を費やすことを考えると、とてつもなく嫌な気持ちになり私は意を決して車を手前に引いた。そこには打ちのめされて助けを乞うようにゴキブリが待っていた。私は十分距離を保ちつつスプレーを近づけて、再度攻撃を開始した。弱り切っているかに見えたゴキブリが、最後の断末魔のように激しく四肢を動かして近くにあった鞄の紐にしがみついて動きだした。私は弾が切れるまで無心で打ちまくり、逃げるように寝室に行き、寝ている妻を起した。
「ゴ、ゴキブリ」
私はそれだけしか言えなかった。殺したわけではない、まだ生きている。これから死んで行こうとするゴキブリ達の処理が頭にうかばなかったのである。先ほどの半狂乱だった私の姿を見ていた妻はすぐに起きてくれて、掃除機で死にそうなゴキブリを吸ってくれた。最初に攻撃したゴキブリもまだ四肢を動かして生きている証しを見せつけていたが、敢え無く掃除機の中へ吸い込まれて行った。

こうしてゴキブリとの戦いは一応の終止符を打った。しかし、ゴキブリはそう簡単に絶滅してくれないだろう。もしかしたら卵を生んでしまっているかもしれない。そうでなくても何処からか入り込んでくるかもしれない。説得のできる相手ではない。いずれまた対決するかもしれないゴキブリのために近いうちに武器を購入しておかねば。近いうちにではなく今からでも買いに行きたい気分である。

折よくXememのMLで「ゴキブリ秘宝館」というサイトを紹介された。その中のリンクに「全国ゴキブリ撲滅連合」というページがあった。身を守るために研究せねばならないと実感した。そして、「敵を知り己を知れば100戦危うからず」の格言通り、「妖蟲譜」などでの研究も怠らないようにせねばと実感した。
今回は本当に晴天の霹靂とも言える惨事だった。次こそは万全の構えで望みたいと思う。


2001.9.5(2001.9.26)
T/Maruyama/Alice
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