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育児日記

入院編

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T=わたし、K=家内、O医師(土手医師)
1998/6/17

9:00

妊娠十ヶ月に入ってもう少しだと思っていたら、いきなり破水した。Kが籍を岐阜からこっちに移して、保健を国民保険にかえて、保険証が届いて、さあ病院へ行くか、と思っていた矢先である。
実を言うと、恥ずかしながら、4月13日からKは病院へ行っていない。上記のごたごたがあったからだが、診察した医者がやな感じだったせいもあるらしい。
でも、とにかくタクシーをひろって、病院に行って診察してもらったら破水だったので、そのまま入院。医者になんで検診に来なかったのかと言われてわたしも困ってしまった。いかなかったのはKだから。
破水してしまうと、お腹の赤ちゃんが外界と接触してしまうため、Kは抗生物質を飲まされるようだ。薬なんか飲んで赤ちゃんは安全なんだろうか。
くわえてKは、全く陣痛の兆しがないようだ。具合を聞くと「普通」と答えた。医者は二、三日様子を見て陣痛促進のための薬を使うかもしれないといっていた。
医者がいなくても出産は自然の摂理だと思っていたから、なんだかとてつもなく不安である。

不安の種はもう一つある。初産であるにもかかわらず、この所ごたごたしていて何の用意もしていないわけではないが、やっぱり不安である。
などと考えながら、パソコンに向かって日記なんか書き始めるTは薄情なのだろうか。

それにしても驚いた。ねっころがってテレビを見ていたKが突然、水が出てきたといいだしたんだから、こっちは何が起こったのかわからない。破水みたいだと言っていたわりには、病院に着く頃には水が止まっていた。本当に破水なのかなと思っていたら、医者が破水と断言した。
Kは陣痛がなくて、平気な顔してるしやっぱり、出産は自然の摂理なんですね。

あ、子どもの名前考えなきゃ。


1998/6/18

11:45

昨日書き忘れていたが、入院したのは蒲田総合病院である。Kがあまり好感を持たなかったのは、その病院の医師の一人である。
今朝、8:30頃、入院のための身の回りのものを持っていった。Kの病室は二人部屋で、相部屋の人が今朝方産気付いて分娩室に運ばれたそうで、隣のベッドは荷物だけ置いてあって空だった。
妊婦であるKは元気であったが、破水したのに陣痛が来ないというのが不安なようだ。産気付いた人を目の当たりにしていれば当然不安もあるだろう。
面会時間が午後からだからであろうか、荷物を置いたら看護婦に追い出されてしまった。何かあったら電話しますのでといわれて、仕方なく帰宅する。

Kの母の妹にあたる伯母が、やはり、破水してしまった経験があるという話を聞いた。体質だと言われたが、破水しやすいってどういう体質なんだろう。羊膜が薄い体質なんだろうか。赤ちゃんが元気だからだろうか。どちらでもいいけど、とにかくKも赤ちゃんも元気に生まれてくれれば何の問題もないのだが。
昨日は眠れなかった。三時ぐらいまでおきていたが、それは、Kのことがきになって眠れなかったというよりは、純粋に生活パターンの問題であろう。しかし、いつもは昼過ぎまでねているTが、七時半ぐらいに起きたのはやっぱり、Kと赤ちゃんが気になるからだ。七時半に目覚めて、やっぱり人の子だなとTは思った。これで、図太く眠りこけていたら、後でKに何をいわれるか分からない。
何もなければ、今日明日は岐阜に出張だった。Kのお母さん絡みの仕事だったので、Kのお母さんに連絡を入れてもらった。岐阜の「ザ丼」に行く機会が一つつぶれてしまった。

そう言えば、籍も入れていない。つい先日、Kは籍を入れたくないといっていた。何を考えているのだろうか。この頃は、籍を入れなくても、戸籍上の表記に問題がなくなったようであるが、それにしてもねぇ。Tの希望としては、早いとこ入籍したいのだが。
Kには振り回されぎみのTである。妊娠直後、Kは日本の医者は患者の意志と無関係にいろいろ勝手なことをやるので、産婆さんで生みたいといっていた。後で聞いてみたら、赤ちゃんをできるだけ苦しまずに産めるように産道の出口にメスを入れる医者がいると何処かでおどかされたらしい。
要らぬ不安を引き起こす情報が氾濫しすぎているというか、曖昧な情報があまりにも多いというか。

21:20

午後7:00ごろ、もう一回病院に行った。持っていったスリッパが壊れたということで、新しいのを持っていった。
お隣のベッドは空だったが、今朝Tが去った後にもう一人妊婦が入院して去っていったという。相当苦しそうだったとKが言っていた。Kの陣痛はまだ遠いようだ。
Tが来た後に、看護婦が薬を持ってきた。何の薬かは聞いていないが、陣痛を促すための物ではないかとKは思っているようだ。Tも同意する。
看護婦がKに話したまた聞きだが、蒲田総合病院でKが好感を持たなかった医師は、看護婦の間でも、内診がちょっと乱暴で有名なようだ。今の所、月曜日の担当らしいので、蒲田総合病院へ行く妊婦は月曜日を避けた方が良さそうである。
蒲田総合病院の分娩室には、一般の人は夫しか入れないようだ。つまり出産のときの立ち会いは、夫しかできないわけだ。Tは今の所、立ち会う予定でいるが、現実にどうなるのかは不明である。

あ、思い出した。入院したときの医者の説明で、破水して外界と通じてしまった免疫のない赤ちゃんを守るために抗生物質を投与するとかなんとか言っていた。じゃあ、Kの飲んでいたのは抗生物質か。


1998/6/19

12:40

電話の音で目が覚めたTは、受話器に駆け寄るが、一歩間に合わなかった。時計を見ると12:00だ。昨日は気になって今朝七時ごろまで起きていたたが横になっていたらいつのまにか眠ってしまった。五分過ぎてもう一度電話がなる。蒲田総合病院から生まれたという知らせだった。2820グラム、女の子で、11:11分出産(詳しい正確なデーターは後にいずれ記載する)。ってことは、

出産に立ち会えなかった

ってことだ。陣痛が来てから連絡があったのだろうか。寝過ごしてしまったのだろうかとTは悩む。悩みながら、急いで支度して、蒲田総合病院へ駆けつける。玄関を出てから、かさを持たずに鍵をかけてしまったことに気が付いて、駆け戻る。頭の中はいまだ名前の候補もない赤ちゃんのことでいっぱいで、道を一本間違えて、行き止まりにたどりついて折り返したりしてやっと病院に到着。
慌てず騒がず、産婦人科に入ったが、ナースステーションに人影がない。近くの看護婦に声をかけた。Kの旦那であるというと、ちょっと待っててくださいと言ってすぐに分娩室に行った。看護婦の話だと、出産して二時間は安静にするためにKと面 会はできないということだったが、そんなことは電話口で聞いている。赤ちゃんと逢えるということでここまで来たのだ。靴下を履かなかったので、左のかかとが擦り剥けていたい。
看護婦の指示どおり、前掛けを着けて、靴を履き替え、マスクをはめて、手を消毒して、その部屋に入った。女性とその赤ちゃんがいて、左手奥の壁がガラスになっていて、赤ちゃんを抱えた看護婦がたっていた。近寄ってよく見る。
小さい手が布からはみだして動いている。目は見えないはずだが閉じたり開いたりしている。視線があったような気がするのは気のせいだろうか。頭には産毛が生えていて時たま泣いたりする。何かを言いたげな顔をしている。抱きしめたいがガラスごしでできるわけがない。なんだか目の前のことが信じられない気がする。自分がお腹をいためてないからだろうか、出産に立ち会わなかっただろうか。

面会が終わって、看護婦にお礼を言って帰宅する。五日間入院して、検査を受けて異常がなければ退院ということだった。雨は止みそうにない。歩きながら名前と戸籍のことが頭を悩ませる。三時過ぎの面 会時間にKと顔を合わせて決めることだ。

20:05

三時前に病院に向かう。外は雨だったがTは傘もささず自転車で行った。分娩室から移動したKが何処にいるか分からず、看護婦に聞いたら、記帳してくださいといわれた。そう言えば、今まで記帳していなかったことを思い出した。何処の病院もたいして変わらないので、なんてずさんな病院なんだろうかとは思わないが、わたしの顔を覚えている看護婦が多くて、Kの旦那さんですね、と即座に言われた。 Tが来たときKは点滴をうって横になっていた。痛いというのでお腹をさすってあげたTは、つい昨日まではりつめていた下腹部がなくなっていることに気が付いた。なんだか不思議である。子宮が収縮するんで痛いらしいが、それだけでなく、赤ちゃんの出口も切って、縫ったらしい。よくよく聞いてみると、例のデリカシーのない医師だったそうだ。出産直後にへその緒を引っ張って胎盤を引きずり出したらしい。あれって、自然に剥がれ落ちるものなのではないだろうか。だからというわけではないだろうが。昼食が来たがKは食べられる状態ではなく、断った。
三時ごろ突然、Tの母が駆けつけた。ちょっと会話して、Tと二人で赤ちゃんを見に行くが、前掛けの数が足りず、母だけが入ったが出てきた。赤ちゃんが遠くて見られなかったらしい。順番を待ってわたしも一緒に入っていくと中に入っていくと、ガラスの向こう側の部屋の奥の壁に置き去りにされている。手前のガラスの前には四人分のスペースしか置けないためである。近くにいた妊婦さんが、看護婦さんに声をかけてくれたので、十五分後にもう一度ならべ直してみれるようにしてもらえた。
Tの母が帰るときにTも一緒に病院を出て、近くのロイヤルホストで軽い食事とコーヒーを飲みながら談笑する。その後、Tの母はタクシーを拾いTは近くの店で缶 ジュースを四本とコンニャクゼリーを買って病院へ戻る。
病院でKとTが戸籍のことなどを談笑していると、今度はKの母が駆けつけた。出張で岐阜を日帰りしてきたのだった。なんとか6:30からの赤ちゃんとの会見に間に合うように急いだという。そうこうしているうちに、Kの食事がやってきた。昼食を断ったので、無理矢理食べさせようとする看護婦が食事を置いていった。Kの母が来る前に梅の味のコンニャクゼリーを一つ食べたところを見ると食欲はないことはないらしい。Tが手伝って、ゆっくりとKを起こすと、縫ったところが痛いらしい。枕をお尻に敷いてなんとか、体制を立てて箸を取り出して食事を始める。Tは髪の毛をとかした。
病院内では携帯やPHSを切っておかなければならないのを忘れていて、Kの母の携帯が鳴り出した。Kの兄がお見舞いに来るという。しばらく雑談してから、病室を離れて入り口近くのソファで座って待っていると、Kの兄がやってきた。記帳してから病室に入ると、お見舞いをくれた。手のひらピカチュウとフルーツ屑きりだった。屑きりにはスプーンがつていないので明日持ってくることにした。
Kの兄が来るまでに食事が終わって点滴が外されて横になっていたので、八時を過ぎてカーテンを閉めて帰宅した。
外はいったん止んだ雨が、また降り出していたが、それよりも風が強い。

KとTの話し合いで入籍することにした。名字はTがどっちでもいいということで、Kの名字になりそうだ。そうと決まれば、あとは赤ちゃんの名前だけだ。
産婦の手引きみたいな冊子が置いてあって、その中にカードが入っていた。名前のところに、Kの名字に「ベイビー」という名前になっていた。何だろうと考えていたら、赤ちゃんのための病院のカードだとKが教えてくれた。名前のところが「ベイビー」になっているのは、まだ名前が決まっていないからだ。名前も戸籍もない赤ちゃんの診察のためにカードを作るとは考えていなかった。
元気そうな赤ちゃんに名前をつけてあげないと。Kの兄とのおしゃべりの中で、名前を付けたがる親類が押し寄せてくるからといわれたTは平然として見えたが、内心焦っているのだった。


1998/6/20

1:15

昨日の帰りがけ、ガーゼがいるというので、11:50頃にTはもろもろのものを持って病院へ自転車で行く。天気はよく、今日は三十度を超える真夏日になる予定らしい。病院の玄関が閉まっていたのは土曜日だからであろうか。いつものように休日の入り口から入って、まっすぐ産婦人科の病棟へ行く。今日は珍しくナースステーションに人がいるので、記帳していたら、面 会ですかと聞かれた。面会時間ではなかったので、当然のように、荷物を持ってきました、と答えた。
そこで待っててください、呼んできますから、といわれてたたずんでいると、Kが手すりにつかまって歩いてくる。あまり大丈夫じゃなさそうだ。点滴をしていたところにガーゼが当ててある。表情が辛そうだったので、早めに切り上げるために、持ってきた寝巻とかスプーンとかねじ回しとかガーゼとかを渡した。
赤ちゃんをだいたとのこと。授乳のために、母親だけは直接抱けるのだ。赤ちゃんの顔の、下唇とあごの間に線が入っていたとKがいう。何のことだろうと考えたTがふと自分の下唇の下に指を当ててみる。Kは下唇が厚くてあごとの間に線が入っているTと赤ちゃんが似ているといいたかったのだ。ずいぶんわかりにくい表現をしてくれたものだが、逆にその方が嬉しさが増すのかもしれない。
Tが、何か必要なものはとKに尋ねると、時計が欲しいと言った。授乳時間などが、きちっと決められているにもかかわらず、病室に時計がないそうだ。そう言えば、見かけなかったような気もする。今後困るので、持ってきて欲しいといわれて、とりあえず、Tは自分の腕時計を渡した。文字盤がない大変不便なものだったが、無いよりはマシだという判断である。後で改めて時計を持ってくることにする。
出産が済んでからやっと二十四時間がすぎた。なんだか長かった。まあ、これからだけれども、などと考えながら、Kと別 れたTは病院を後にする。

17:25

三時の面会時間に間に合うように出ようとしたら、Kの母が、Kの父と電話中だったので、一人で自転車で出かける。病院についてまず時計を渡す。まだ傷が痛そうだ。閉まっているカーテンの向うの隣のベッドに夫らしき人と彼女の女友達が沢山来ていた。聞こえてくる話の中で、下の傷を縫うときに麻酔をかけたといっていた。Kは自分のときは麻酔なんかかけなかったという。例の医者はやぶ医者なんじゃないだろうか。まあ済んでしまったことはしょうがない。個人でやっているやぶ医者はいずれつぶれるだろうが、総合病院に潜むやぶ医者は意外と根強かったりして。デリカシーがなくても技術が稚拙でも、ごますりが上手ければ給料がもらえる?
そう言えば、深夜一時頃にNHKでやっている「ER」なんかにも、そんな話題があったように思う。あれは日本の話じゃないけど。
Kの母が到着する。Kの父親との電話の話を一通りして、赤ちゃんを写真に収めに行くが、時間帯がずれていたこともあって、たいした物は取れなかったという。昨日の夜にKの兄はデジタルカメラで撮ったので、その場で見ることができた。
Kの母が戻ってきて、また電話の話になったので、Tは近くのマーケットまで自転車で買い物に行く。Kが、薬を飲むための水が欲しいといったからだ。岐阜県人のKは東京の水道水が不味すぎて飲めないのだ。沸かしたお湯を冷まして氷を作っているのを見た時、Tはあきれてしまった。

行ったついでに様々なものを買ってくる。お菓子とカップラーメンとパンと唐辛子入りのオリーブオイルを買った。パンはカレードーナッツときな粉パンである。お菓子はスナック菓子と、電子レンジで作るホットケーキのようなもの(ピカチューグッズ)、水はヴォルヴィック。原産国の表示を見てヴォルヴィックが、フランスであることをTは知った。ドイツだとばかり思っていた。
Kの母は洗濯物が気になるからといって、帰ってしまった。TはKの足をマッサージする。昨日の夜、Tが妹からかかってきた電話の話をする。出産直後の子宮は急速に縮まり痛みを伴うが、縮まりすぎて今度は腸などを押し返すためにまた膨らむのだという。その膨らんだり縮んだりするのを繰り返して元に戻るそうだ。もう一つTの妹が言った「一人二人は趣味のうち、三人四人が本当の子育て」と産婦人科だか小児科だかの先生が言った話は、伝えないことにした。

しばらくすると、看護婦が巡回してきて検診をした。Tはカーテンの外で空缶を洗っている。看護婦の話し方から順調な経過であることを、Tは感じる。看護婦が去った後、時計を見ると五時近くになっており、授乳の時間だというのでTも家路に就いた。


1998/6/21

5:20

Tは三時になる前に家を出た。病院の玄関は今日も閉まっている。産婦人科の病棟は日曜日とあって人が沢山居た。授乳室の前には赤ちゃんを見るために来た親類縁者で人だかりができていた。後から来たKの母があれじゃ動物園のパンダの檻と一緒だといっていた。授乳室に入るための前掛けが三着しかないために、部屋の前が人だかりになるのだが、これが何着もあったら、今度は部屋の中が大変なことになる。
Kは横になっていたので、その体勢のままでTが腰を揉んだ。便秘気味でお腹が辛いという。Tが欲しいものをKに聞くと、血が欲しいといった。貧血気味のようだ。病院の食事はどうなっているのだろうか。Kの母が赤ちゃんを見て写 真にとって戻ってきたのと入れ違いにTが近くのマーケットに買い物に行く。

マーケットは大型安売り店だったので、小物がうっていなかった。欲しかったのは、小型のシャンプーやリンス、石鹸だったが、Tは自分のための洗顔石鹸と飲むヨーグルトと、プルーンゼリーだけだ。シャンプーやリンスの話をすると、Kの母が、家にもあるということになり、Kの母が取りに行った。
外は雨が降り出した。赤ちゃんは、昼間よく寝ているそうだ。看護婦が昼夜逆転したのかしらといったそうだ。TとKの子どもなら十分ありえる話である。それと、昨日は沢山飲んでいたミルクを、今日はよく飲まなかったらしい。授乳は昨日からなので、統計的な話ではないようだが、ちょっと心配になってしまう。
Kは今日の昼過ぎに、赤ちゃんの沐浴の指導があったそうだ。初めて自分で入れたのだそうだ。赤ちゃんが寝てしまったのはその直後で、授乳の時間なのに気持ちよく寝てしまったそうだ。

Kの母が帰ってきた頃に、授乳の時間になったので、帰宅した。

Kに一日のスケジュールを聞いたのでここに書いてみる。
Time 行動
6:00 看護婦が見回って来るので起きる
7:00 朝食
8:00 授乳(一時間かかるそうだ)
9:40 今日は沐浴指導があったそうだ
11:00 授乳
12:00 昼食
13:00 看護婦が見回って来る
14:00 授乳
15:00 面会が始まる
17:00 授乳
18:00 夕食
20:00 授乳
22:00 別に消灯時間は決まってないそうだが寝る

7:10

Kが英語の教科書と辞書が欲しいといったのでTが6:00すぎてから届に行く。雨が降っているので歩いたが、100ワット程度の距離なので十分ぐらいである。(ポケットピカチュウ/1ワット二十歩程度、一歩が50センチとして、100*20*0.5m=1000m=1km)
ナースステーションで看護婦さんに産婦が細かい字を読んでも大丈夫か尋ねたが、疲れないようなら大丈夫といわれたので、Kの病室へ向かう。
Kはちょうど食事が終わったところで、食べた後の食器があった。Tが持ってきた本類と筆記用具を渡す。Kが筆箱をあけてみると、筆記用具が入っていたが、書くものが8Hの鉛筆しかなかった。8HはTがデッサンのときに使うと言って買った物だ。知っている人なら分かるとおもうが大変に薄くて、書いた文字がはっきりと読めないほどの濃さである。
明日、シャープペンシルと、よく水を飲むそうなので水を持ってくる約束をして、Tは帰宅する。


1998/6/22

23:05

午前中に婚姻届のために戸籍を取りに行ったTは、病院へは午後三時前に向かった。ナースステーションで記帳しているTをみた看護婦がKを呼びに行った。Kはこれからシャワーを浴びようとしていたのだ。急いでKに伝えることも無いのでTは空っぽのベッドの脇で待つことにした。買ってきた水と、頼まれていたシャープペンシルを机の上にならべたTは、三時になるのを待って赤ちゃんを見に行った。
授乳室の準備が出来上がって、Tが部屋に入ると、やはりいつもの場所の一番遠くに置かれている赤ちゃんは、身動きもせずに瞬きもしないで、眠っていた。七人居る赤ちゃんのうちで泣いているのが二人、眠りながら動いているのが三人、残り二人は身動きすらしない。とにかくよく分からないが大丈夫そうだ。昨日の昼間、ミルクを飲まなかったTとKの赤ちゃんも夕方には良く飲んだそうだ。飲みかたにむらがあるのか。
授乳室を出てまだシャワーが終わっていないようだったので、喫煙所に行って、いっぷくした。帰ってくると、上がったばかりの髪の毛が湿っているKがベッドに座っている。なんだか、便秘気味だそうで、赤ちゃんが出ていった後なのにお腹が重いようだ。KとTは子どもの名前の話をするが、お互いに真剣なんだか冗句なんだか分からない会話が続く。その中で、Tが強く押したのが「和沙」、Kは「楓」だった。Kの主張は中性的なもの、Tは和沙一点張りだ。回文になる名前とか、有名人からとるとか、アニメ、漫画、ゲーム、小説、といったあらゆるジャンルが思い付くままに上げられていったが、妥協点はなかった。
五時近くなり授乳の時間になりつつあったので、TはKに欲しいものを聞いて、いつものマーケットに買い物に行く。雨が止みかけていたので傘を置いていってしまった。

プルーン関係の食品と、飲むヨーグルトなどを買い込んでマーケットを出たTは自分の失敗に気がつく。雨が勢い良く降っているのだ。仕方なく傘を差さずに歩いた。病院に近づくにつれて雨はひどくなっていく。あと少しのところだったが、通 り掛かりのファミリーレストランに立ち寄って、コーヒーと軽食を頼んだ。運のいいことに、ちょうどKの授乳の終わる六時ごろに雨が落ち着いてくれたので、早足で病院に向かった。

病室にはすでにKの母が来ていた。Kはベッドの上で夕食を取っている。Tは買ってきたものを鞄から取り出してみたものの、夕食のトレイに阻まれて置き場が無い。仕方ないので、入るぶんだけ冷蔵庫に入れ、残りは様々なところに積み上げてみた。
しばらくすると、Tの妹が突然やってきた。学校があるからもう少し遅くなるだろうとおもっていた。そして、お見舞いといって取り出した物は、プルーンジュース、プルーン、ヨーグルト、煮干し、などである。置き場が無いところに更に物が来て、大変な状況になってしまった。とにかく食器を片づけた。
Tの妹は看護系の学生なので話が弾んだ。特に、このページのことで、子どもを産んだ後の状態を褥婦というのだそうだ。はずみすぎて気がつくと七時を回っていた。そこでおもむろに、婚姻届に証人二人が必要であるということを説明し、Tは妹に打診した。Tの妹は快く引き受けてくれたので、その場に持ってきていた書類に記入してもらった。もう一人は、Kの兄に頼もうと考えているが、まだ彼に打診していない。
Kが暇を持て余している時に、記入できるように、書類を置いて、三人は病院をあとにした。


1998/6/23

23:05

今日は用事があったので、TはKの母と午後六時に病院に向かった。病院に毎日通 っているTはこの頃心配になってきている。本来、父親は仕事があって行きたくても毎日来れるものではない。被害妄想かもしれないが、病院内でも病室でも、Tへ向ける視線が厳しいように感じている。
Kが食器を片づけているところに出くわした。夕食が終わったようだ。ほんの何歩もないが、病室へ一緒に歩く。いまだに少しふらふらしているKは、医者にすごい貧血だと診断されて増血剤をもらったようだ。ついでに、増血剤は胃に悪いからといって、胃薬まであった。まさに薬漬けというか、こんなに薬ばっかりで大丈夫だろうかと思わせる。
赤ちゃんは、ミルクの匂いをかぐと、口をぱくぱくさせて、ねだるのだそうだ。本能だろうか。今日測ったKの体重は伏せるが、赤ちゃんは2920グラムだそうだ。
昨日、わたしが出そうとしたら、Kの母がKの兄に証人として署名して欲しいというメールを出してしまった。二重になってもと思い、わたしは出さなかったのだが、その返答があって、これから目黒まで行くことになっていたので、長居はできない。
名前の話もしないうちに病院をあとにした。

蒲田総合病院の産婦人科病棟の男性トイレは物置と化している。わたしはその入り口に、男性トイレのマークがついていても、中に男性用の便器があっても、なんだかしてはいけないところで用を足している気分になった。ごみバケツとか何が入っているかわからない段ボールが置き去りにされていて、扉が開け放たれているのだ。極めつけは、小さめの電気で動くクーラーボックスの様なものに、「胎盤」と書かれているのだ。ちょっと覗いてみて暗くてはっきりとしないがなんとなく胎盤が入っているようだ。男性虐待である。妊婦や褥婦には、つまり入院患者には全く関係ないことであるが、男性の医者は我慢しているのだろうか、気にしないのであろうか。

Kの兄に署名をしてもらって、姓名判断のCD−ROMを手渡された。Kの兄が会社の知り合いに聞いてみたら「楓」という名前の評判はなかなかだという。いいんじゃないかな、というKの兄のアドバイスに、心がゆれる。まだ時間があるし、もっと素晴らしいものを、と思う傍らで、イメージが貧困なんだから、決めちゃっていいんじゃないかと、Tの心は惑っている。明日、Kに相談しよう。


1998/6/24/17:15

昨晩、Tが記入した婚姻届を持って、病院へ行く。まだ細かいところを記入していないからである。Kの調子は順調で、抜糸したそうだ。明日退院できるそうだが、Kは貧血で通 院しなければならなそうだ。

実は、とんでもない嘘をここに書いてしまった。子どもの名前の件である。Kがつけたがっていたのが「やまぶき」であることが判明した。「楓」はあまり乗り気でないようだ。Kの兄が日記にまで書いてしまった。すみません。またこれから、急いで考えないといけない。生後14日までに、提出しなければいけない規定になっているから。

婚姻届に時間がかかったが、無事受理されて、Tの名字が変わった。名字が変わってもTはTであるが。そのあと、母乳を出すと喉が渇くというKのために、マーケットで買い物をして、病院に向かう。
買ってきた水と飲むヨーグルトをKに渡したら、五時近くになっていた。授乳の時間である。Tは一時退散して、帰宅する。

8:20

六時ごろに再び病院へ。Kは食事をしていた。最後の晩餐とでもいうべきメニューだ。お頭付きの鯛にお赤飯である。いよいよ退院が近いのだ。
ナースステーションで看護婦に聞いてみると、午前中でも可能なようだ。Kは早く帰りたがっているので、十一時ごろ病院に行って授乳している間に帰り支度をして授乳が終わり次第タクシーで帰宅するということになった。

名前に関して、「やまぶき」というのは、悪代官と越後屋のあの「やまぶき色のお菓子」をイメージしてしまう。Kは黄色が好きで「やまぶき」とつけたがっているようだ。

病院にいると暇なので、早く帰りたいというKは、「エヴァンゲリオン」か「パーフェクトブルー」が見たいといっていた。「パーフェクトブルー」はまだ、LDもVDも出ていないんじゃないかとおもわれるので、「エヴァンゲリオン」でしょうか。レンタルショップにも置いてあるから、借りに行けば良いでしょう。

八時近くなってKの知り合いが、そろそろ退院のじきだから、と言ってお見舞いに来た。Tは少し話してから、Kの知り合いと一緒に病院を出た。


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