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「遺伝と子育て」 〜人は「生まれ」か「育ち」か〜

ピーター・ヌーバウアー
アレクサンダー・ヌーバウアー
小出照子 訳

2001/8/18

子どもの成長には「遺伝」と「環境」のどちらが大きな影響を与えるのか、という疑問はいろいろな言葉を替えながら昔からいわれていることだ。例えば「マイフェアレディー」という作品は一介の花売りを社交界に出すという内容だが、これに似たような話はバリエーションを替えて今も昔も沢山ある。
育児をしていても目の前の子どもの明らかな欠点をどうすべきか悩むことは多い。子どもを叱ってその欠点を封じ込めるべきなのか、それとも、欠点をなんとか他の方向性へ延ばして長所としてあげるべきなのか。変わらないその子どもの本質なのか、それとも、育て方で変わっていくものなのか。

この本はそういった疑問に端的に答えてはいない。というか、「遺伝もありうるし、環境でもある」という曖昧な解答を出している。更には、「柔軟性の幅は個人によって違う」から、似たような問題でも個人個人で違ってくるとさえ言っている。だからサブタイトルである「人は生まれか育ちか」という疑問を解消したいのであればこの本を読むべきではないかもしれない。

この本の主題は、現在の「遺伝か環境か」という議論を止めるべきだということである。この本の後半ではいろいろな文章を引用して最初から最後までその主題を主張するにとどめている。それはこの学問がある意味で始まったばかりだからだと思われる。人間に関する研究は単純に人体実験できないし、人体を物理的に調べたところで答は出てこない。統計学的な地道な研究と遺伝子の解析がいずれは明らかにしていくが、それにはずいぶん時間がかかる。だから、相当退屈な本である。
が、引用されている文章や双児の研究の具体的な例はとても興味深い。前半の具体例とその周辺の説明を読むだけでも価値があるのではないだろうか。

2001/8/25

私は「環境遺伝」という自分なりの造語によって生まれと育ちの問題を自分なりに整理していた。

人間の欲求は「原始的な」ものから「崇高な」ものまで様々な段階に分類されているが、各段階は前後の段階に大きな影響を与えている。その段階の欲求が形成されるにあったってはその前段階の欲求の何らかの移行と周囲の環境が影響している。前段階の欲求は更に前段階の欲求によって形成され、更に前段階の欲求はそれ以前の・・・と続き、最後には原始的な欲求にまでさかのぼる。原始的な欲求は遺伝子によって形成されている。

では環境は敢然に不確定要素なのかといえば、実際にはそうとも言えないのではないかと私は考えた。環境は選択可能な環境とそうでない環境がある。選択不可能な環境は例えば親や親類であるが、これは、遺伝的な結びつきが強い。というか、遺伝子の結びつきを親類と呼ぶ。それでは選択可能な環境は、というと、結局のところ、本人の欲求によって選択される。欲求は最終的に遺伝によって大きな影響を与える。つまり、人間は、 遺伝子によって制御されているのである。

実際のところ私の論理の中にも偶然性が存在しないわけではないが要素としては少ない。ある意味でこの本は私の理論を裏付けることになるかと思って手に取った。もしくは、私の理論を否定することになるかもしれないことも期待した。が、結局のところ、どちらにもならなかった。